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心の、上下左右、浮き沈みに振り回されるのに疲れます。
人間ってこういう生き物で、仕方のない事なのでしょうか。分かりません。


先日、生家の自室を片づける様にとの連絡を受け、久し振りに実家へ行ってきました。
量はそこまで多くはありませんでしたが、私が一人勝手に号泣したり感情的になったりしていた時間が長かった為、予想以上には時間が掛かりました。荷物の持ち運びは夫も手伝ってくれたのでスムーズで、無事現住所へと帰宅する事が出来ました。

持って来たという事は、また断捨離宜しく身辺整理をしなければならないという事で…、
今日は色々と中身を整理していました。

幼少期から閉鎖病棟に入院する辺りまで、私はやけに感傷的と言いますか、
例えメモ紙の一枚ですら「私を思って書いてくれた物なのだ」と思うと捨てる事が出来ない性分で、手紙類は特に大事に大事に取ってあった様です。
ある時期を境に何でもかんでもポイポイ捨てる様になってしまった為、
予想以上に手紙が残っていた事に若干動揺しました。
渡米していた時期、閉鎖病棟に入院していた頃の手紙が殆どで、
入院時等は良い思い出も無いので読むには躊躇いもありましたが、結局総て読みました。

あの頃、私は自分が苦しい事が最優先になってしまっていて、
周りに私を気遣う人もちゃんと居たという事実を受け入れられずにいた様です。
私を思って書いてくれたであろうその手紙の存在、読んだ記憶さえ、
今日の今日まで忘れていた事ばかりでした。
きっと「何を今更こんな手紙」と思い、相手を憎んでいたのかもしれません。

また思春期に幼馴染を自死で亡くし、そのあまりの衝撃に人との付き合い方や距離の取り方が分からなくなってしまった自分は、人とやたら距離を置くようになりました。だから勝手に、友達は居ないと思い込んでいたんです。だけれど、渡米後も何度か手紙のやり取りをした子が居たという事も、私は忘れていました。あの子は今元気でしょうか…。

失礼な話ですよね。
私はあんなにも恵まれていたのに、自分の事しか考えられなかった結果、
私を思い遣ってくれる人達を蔑ろにしていたんです。
自分がツラければ他人に何をしても良い、そんな理屈は有りません。愚かだったんです。
あの頃私に関わろうとしてくれた全ての人を探し出して、ありがとうごめんなさいと土下座して回りたい程、今自分が恥ずかしい。本当に恥ずかしいです。

ここ数か月の自分は落ち込みが激しく、情緒もかなり不安定で、
自宅を片づけたら、ついに還る場所も何も無くなる。
身辺整理も進んでいるし、後はいつ自分が居なくなっても子ども達や夫が困らない様に、
出来るだけの事を準備しておこう。そう思っていました。
勿論それは今後も継続して行うつもりで、今週もその為の予定が入っているのですが…

ただ、今もまさに死を思う誰かが居るのなら…私は思ったんです。
現在宅も実家も、自分の記憶や記録が残る全ての場所へもう一度赴き、
総てを見て、処分できる物は処分し、向き合える物が残っていたのなら…
心残りの無い最後を得る為に、最後の力を使い切るべきなのではないかと…。

前回あたりでしょうか、私は『死ぬなら安らかに死にたい』と書きました。
死にたい、消えたい、その気持ちはもう仕方がないんです。だって本当にそうなんだから。
動物に自死する本能なんて、本当は備わっていない筈なんです。
それでも苦しい、死にたいと心から願うなら、それはもうその人にとって真実なんです。
私はそれを否定も肯定もできません。
ただ叶うなら。苦しいまま、苦しみぬいて死んで欲しくない。
『もうこれで思い残す事は無い』と、安らかに眠ってほしいと思うのです。
赤の他人が書くには、あまりにも失礼でしょうか…。
今すぐ楽になりたいという人も、きっと不快に思われる事と思います。ごめんなさい…
なんだか最近、余命が後1~2年程な気がして、感傷的過ぎるのかもしれません。

死ぬ決心をしてしまった、それはもう仕方のない事です。誰にも責める事なんて出来ません。
その決心をするまでの間にも、沢山悩み、苦労し、後悔し、一人泣いたのだと思います。
助けを求めたのに、誰にも救ってもらえなかった。そういう過程もあると思います。
だけど、どんなに短くても、数年生きていれば数年分、その人の生きた証拠が必ずある。
心に響いた手紙や、まだ死ねないと思う何かも残っているかもしれない。
優しかった記憶や思い出にもう一度触れて、少しでも癒されて欲しい。
覚悟した日より1日2日予定がずれたとしても、苦しんで逝くよりいい。

「ありがとう、もうこれでいいんだよ」と、少しだけでも心が穏やかになれたなら…

最後くらい報われたっていいじゃないですか。
最後くらい救われたっていいじゃないですか。
だってもうとても苦しんだんだから。

それでも私は…明日もあなたの目覚める顔を見たいと願います。
今回も勝手な事ばかり書いていますね、ごめんなさい。
暖かくして、よく眠れますように…。


今日は久し振りに不思議な日でした。

朝起きたらまず、いつもと少し気分が違ったのです。
その気持ちはみるみる内に良い方向へと晴れやかになって、
まるで今日のお天気みたいにスッキリ軽やかになりました。
気持ちが良く、体も軽く感じ、何でも出来そうで、
やる事は多かったけれど、どれもスムーズにこなす事が出来ました。
今なら、長年絶縁状態の父とも何のわだかまりも無く話が出来そうだとさえ思いました。

子ども達とも、久し振りに普通に話が出来た様に思います。
能面でも般若の形相でもなく、爆笑とはいかなくても、普通に顔を合わせて、
イライラも不安も無く話が出来たと思います。
肩の力も抜けて、とても心地よい時間でした。

でも経験上、こういう状態が長く続かない事も分かっています。
体が動く内にと思い、お世話になっている先生の所へ受診しに行きました。
今のうちに薬を貰っておこうという下心もありましたが、
長年お世話になっているのにお礼の一つも言った事が無かった事に気づいたので…。
顔を見て、お礼を言いたかった。
考えてみたら、まともに目を合わせた事も無かったんですね。

やはり外へ出ると男性の大きな声や、それに呼応する女性のヒステリックな声、
行き交う人々の声や視線などで内面が揺れます。
軟弱なんですね、私というやつは。
あの晴れやかな気持ちはどこへ行ってしまうのか、すぐに足元と頭がグラグラします。
なんとか病院には着き、幸いクラシックを小音量で流していたので持ち直しました。
割と待ち時間が長かったので目を閉じていましたが、
その時の感覚がとても不思議だったんです。前置きが長くなりました…。

病院のソファーに座って色んな事を考えましたが、心はいつになく穏やかでした。
うまい言葉が見付かりませんが、それはまるで安楽死を待つような、
悟りを開いたかのような安らかさで、目に映る総てが微笑ましく見えました。
『死ぬのなら、こういう穏やかな気持ちで逝きたい』と思いました。
このまま、このソファーで逝けたら幸せだろうと思いました。
なぜだか分かりませんが、私はいつもツライ、苦しい、泣きたいとばかり思っている様です。
ツライから死にたいと思っている時は、苦しくて苦しくてたまらないんです。
私は今日初めて、そういう苦痛の中で死ぬのは、
死ぬ瞬間まで苦しいだけなんじゃないかと思いました。
死んだら解放されると信じていたのに、死ぬなら安らかに行きたいと、
矛盾した事を感じてしまいました。
でも苦しい時は、やはり死んでしまうのが一番良い選択だと信じてしまうんです。
自分の様な、人としても母としても、妻としても役立たずで悪影響なクズは、
死んだ方が周りの為だと思えるのです。

なんでこんな思考回路なんでしょうか。

私は、別に自分が不幸だと思った事は一度も無いんです。
むしろ私程恵まれている人間が居るだろうか、
恵まれている癖に、
何を我儘で贅沢で甘ったれた事を言っているんだと分かってるんです。
実際、ニュースを見れば自分より大変な立場に居る人が沢山いる事実を知ります。
私如きがツライだの死にたいだの食べたり吐いたりしているのは、
本当に単なる贅沢で、我儘なんです。
私は世界中の人に土下座をしても足りない位のクズなんです。

この文を読んで不快に思われた方、本当にごめんなさい。
私は自分がどれ程甘ったれか分かっているのに、こうして書いています。
誰かを不快にさせているかもしれないのに書いています。
元々はこういう事を書くブログにしようとは思っておらず、
誰かの痛みに少しだけでも寄り添える場所になれたらと思って始めたんです。
でも結局、最近は愚痴やら、私的でネガティブな事ばかりですね。

昔から色々試してきましたが、次は仕損じないという方法も少しは学んだと思います。
だからと言って、今すぐどうこうとは思っていません。
私は色々と考えてしまう性質で…あれこれ考え、身辺整理なんかをしている内に、
結局まだ生きているという感じなのです。
人の死というのは不思議な物で、考えてすると失敗し、ある日突然逝ってしまう。
良い人から逝ってしまう。大切な人から逝ってしまう。
もしかしたら、私の様なクズは一生悶えながら長生きして苦しめと、
目に見えない何かの力が働いているのかもしれません。

何が書きたかったんでしょうね。
お目汚しというのはこういう物を言うんですね。
本当にごめんなさい。本当に、ごめんなさい。


どこかの誰かへ
今日はどんな一日でしたか。
私はたまにしか更新しませんが、あなたの毎日は毎日続いているのだと思います。
今日はツラかったですか。涙が出ましたか。
私には何も出来ないけれど、心だけでもそこへ寄り添いたいと、
本当に思っています。
日照時間って大事ですよね。温かいだけで、少し幸せになれる気がします。
お疲れ様でした。ゆっくり過ごしてね。
おやすみなさい。また明日。
全部の言葉があなたに届きますように。
あなたには報われる資格がある。私はそう思います。

なんだかもうとてもツラくて。

寂しくて、

悲しくて、

虚しくて。

身辺整理なんかをしてしまう今日この頃。

ちょこちょこ整理してきた人生だから、
そんなに物は多くない。

ちょこちょこ身辺整理って…
どんだけネガティブな半生だよなあって思う。

だけど子ども達の顔を見ていると、
なかなか踏み切れないで毎日が過ぎて、
もやもやと最悪の事を考えながらもまだ生きている。

死ぬか死なないかなんて大事な事を、
今夜の夕飯何にしようと同じレベルでぼんやり考えるのは、
一生懸命している全ての人に失礼で、
もう死を選ぶ以外どうしようもなくなってしまった人達にも失礼で、
自分の浅はかさや愚かさに言葉も無い。

でもただ悲しい。
寂しい。
虚しい。

ごめんなさい。

長引く摂食障害。
朝起きてまず頭に浮かぶのは、食べるか吐くか。

自分に甘く、優柔不断でどっちつかずの人生。
意思も弱く、物事を最後までやり遂げた記憶が無い。
そう思っていたのに、
自分がこんなにも白か黒かしか無い極端な性格だったとは、
正直自覚していなかった。

食べるか吐くか。死ぬか吐くか。やるかやらないか。

中間が無い。
丁度良い所が無い。
今日は灰色でいいよって言う日が無い。
そのくせ自分の所在についてはいつだって限りなくグレー。
中立ですって顔して作り笑いを張り付けている。
自分が嫌いだ。












治したい。
本当にもう辞めにしたい。

治したい。

思う日、あるよね。

疲れて。

溜息で。

やめようかな、

諦めようかな、

もう、いいかなって。

でもやめる事さえ許されない。